満願寺

所在地 龍ケ崎市半田町993

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天台宗医王山寂光院満願寺。本尊は阿弥陀如来。

明治15年(1899)1月の火災により、過去帳以外はすべて喪失したため、創建以外の寺歴は不明です。

『稲敷郡郷土史』によると、延元2年(1337=建武4年)の創建となっています。

創建より680年が経過しておりますが、この地域の多くの天台宗寺院は逢善寺の談議所(学問所)で学んだ僧侶によって15世紀から16世紀ごろ開山されていることを考慮すると、満願寺もそのころ天台宗寺院として中興したと考えます。

建武5年(1338)9月に伊勢(三重県)を船で出立した南朝の将北畠親房が台風のため東条荘に漂泊し神宮寺城(稲敷市神宮寺)に立てこもります。東条荘は北畠親房に味方し北朝軍と善戦することになります。東条荘の支配地である当地の社僧はこの寺も含め南朝に与したと思われます。

創建の寺暦に南朝年号を用いていることから、同じく社伝にて南朝年号を用いている八幡神社の別当を務めていたと推測出来ます。

満願寺は登城山城遺構の中に鎮座していますので、この城と何らかの関わりがあることが想像できます。

現在、当寺院の住職は塗戸の西光寺と薄倉の徳蔵寺の住職も兼務しております。


お化け地蔵

半田と長峰の境に川が流れってけど、元はそこに地蔵様があってよ。その地蔵様、お化け地蔵といってんだ。夜な夜な、お地蔵さんが化けて、白い海のようにしちゃうんだって。そこらを通る人を困らせていたんだ。だから、もう歩かないようにと、足をチョンと切って。3~4mの大きい地蔵でよ。そこからお寺に持って行って、今、お寺にあるよ、満願寺に。

以上、民俗調査報告書Ⅱより

正徳6年(1716)半田村 善男女講中 造立