英美子「春鮒日記」

英美子は、昭和20年4月、戦火を逃れるため旧制中学を卒業したばかりの一人息子と共に、筑波郡久賀村にやってきて、新川の三角州に建つ集会場(寮)を仮住まいとしました。

そして、息子が釣った魚を売り、ささやかな生活の糧として、つつましやかに暮らしました。

終戦後すぐにでも東京に帰るつもりが、鮒釣にのめり込んだ息子のために、この地に身を置く決心をし、昭和24年、川原代村道仙田の旧小貝川水辺に小さな家を建てました。そして息子とともに釣り場の管理をしながら昭和44年までこの地で暮らしました。

「春鮒日記」は昭和20年から昭和25年まで新川と道仙田での生活を綴った随筆です。

息子は今や世界的なギタリスト中村淳真です。

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昭和20年、若柴の丘から見た旧馴柴村の情景。

作中では松山と題した若柴の丘。

麦と菜種とれんげ草の色彩の平面図。その彼方にいぶし銀の微笑を湛えて眠たげに見えるのは、寮から間近い牛久沼。それからずっと手前に視線を引いてきて、浅黄色の細いリボンを流す江川用水を一筋加えたこの風景は、まず九十点の自由画というところでしょうか。そして麓から左側には、竜ヶ崎の一角が忘れずに点描されているし、右手の佐貫駅からは竜ヶ崎町へと向かう竜ヶ崎鉄道(小型で明治時代の遺物)が、ときどき玩具めいた警笛を鳴らし、体に似合わない黒煙を吹き出しながら、お愛嬌にのろのろと通っているのでした。

※寮=疎開中の英美子と中林淳真親子の新川(藤代町)にある仮住まい。

詩「川」

川は流れる ゆったりと 幅のある心で きょうも 流れる

川は どんなことにも 特に執着をのこすことなく 何もかも 余事はさておいて ただに 流れる

川は 流れなければならない ひとすじに 己が 運命の上を

岸の 草笛 森の 梢が 絹糸のように 柔らかな夢をぬらし ゆれ さざめく風景に 心惹かれる たそがれ 川も まるで 呼吸が止まったように 光り 輝いてみえる

川は 流れる ゆったりと 太い曲線を描きながら 己が胸の 琴線を わずかに かき鳴らしながら  川は 青いいのちの中を いこいを忘れた 私のように ひたすらに 流れる  

英美子詩碑「川」
総合福祉センター駐車場(川原代町)