
平国香の供養塔(宝篋印塔-ほうきょういんとう)
承平5年(935)、平将門との戦いに破れ、藤代川に没した平国香の供養塔。
藤代川は現在の龍ケ崎市川原代安楽寺付近で平国香は平将門軍と激しく戦う。この戦いにて国香は戦死したとも、自害したとも言われている。その後、国香を慕う何者かによってこの供養塔は建てられた。
『関東中心平将門伝説の旅』によると、塔は砂岩でできており、相輪の上部が後補であるのと、笠すみの飾りが欠落しているほかは、完形に近いとされている。
銘文は磨滅したためか見当たらないが、塔身の四面に浅削りで梵字のキリーク(阿弥陀)ほか、金剛界四方仏が刻まれているとされる。
この塔の特徴である笠の軒反りは、鎌倉後期の五輪塔に似ていて、軒反りの段が細かいのは古い塔に多く、福島1、長野2例で関東ではほとんど見られない。存銘があるのは長野の永和2年(1376)だけだが、他の2例の形態から南北朝・室町期とされる。
塔身の縁取りや基礎の2区の格狭間は、関東形式[永仁~正安年間(1292~1302)成立]を呈しており、古様式を残して鎌倉後期~南北朝期に造立したと考えられている。
平国香は上総介として関東に下向した平高望の長子で、常陸大掾・鎮守府将軍として筑波郡、真壁郡、新治郡一帯の統治を任された。国香の死後はその嫡男貞盛が後を継ぎ、一族は後に平清盛に代表される「平家」として全国で隆盛を極める。
