西光寺

所在地 龍ケ崎市塗戸町920

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正式には普賢山来迎院西光寺という天台宗の寺院です。寺伝によると室町時代の永享2年(1430)、逢善寺の僧、祐賢上人(ゆうけんしょうにん)によって創建されたとのことです。創建より594年が経ち、龍ケ崎市内の天台宗寺院では安楽寺(川原代)の次に古いと考えられます。それは、市域の中でもっとも東に位置する西光寺は塗戸村ともども中世の時代から東条荘の影響をいち早く受けたことが想像できます。東条荘の本拠地小野郷(現稲敷市)には当地域の宗教的な中心をなしていた天台宗逢善寺があります。逢善寺で育った僧侶が次々と龍ケ崎市域に天台宗の寺院を創建します。

戦国時代になると江戸崎土岐氏の影響下に置かれます。山門前から続く道を馬場道といい、その先には大日山城へ続く登城坂があります。詳細は不明ですが、この城と何らかの関係があったことが考えられます。

本尊は、「来迎印」という印相(手の指でポーズを取る)の立像阿弥陀如来で、右に蓮華を持つ観音菩薩、左に合掌する勢至菩薩の阿弥陀三尊形式です。又、堂内の虹梁(こうりょう)唐草文、来迎柱の木鼻(きばな)も年代を偲ばせます。

山門は、四脚門形式で欄間の彫物等からして江戸時代後期の建立と思われます。遍照閣は江戸時代に大師講の流布により建立され深く信仰されました。現在も四郡大師巡り13番札所になっています。什宝には護摩版木(ごまはんぎ)も残され祈願も行われていました。

明治16年の嵐により本堂が倒壊し、その残材で現在の本堂を再建されました。身丈5尺の本尊の大きさと、本堂が不釣り合いで、倒壊前の本堂の大きさが計り知れません。

大正11年には墓地新設、昭和16年太平洋戦争下の梵鐘供出、同44年本堂、山門屋根ステンレス葺替え、同55年遍照閣屋根銅板葺替え、令和4年山門修復で煌びやかな外観となっています。 昭和19年~55年は無住職の時期がありましたが、現在は満願寺の住職が兼務しております。

本堂 桜の季節