八間掘(谷田川)
所在地 龍ケ崎市小通幸谷町他
伊奈忠治は、寛永4年(1627)弥左衛門新田(藤代町)から小貝川にかけての新水抜堀(古八間堀)を開削した。しかし、牛久沼上流村と下流村の対立をもたらした。上流村の新田開発が促進された一方、江川を用水として利用していた下流域9ヶ村は慢性的な水不足に悩まされた。紆余曲折の末、9ヶ村は古八間堀の吐口を堰き止め、江川へと水の流れを引き込んだ。その結果、上流の村々は再び水害を被ることとなった。この悪水と用水の利害関係の調停は難航したが、元禄13年(1700)水抜堀と用水堀を併用した新八間掘が開削され、とりあえず決着となった。現在、牛久沼から龍ケ崎市と取手市の境界線を流れ、牛久沼排水機場にて小貝川へ排出している谷田川のことである。
