岡田屋菓子店跡

所在地 龍ケ崎市下町

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岡田屋菓子と龍ケ崎の和菓子文化

下町の龍ケ崎観音の近くに明治後期創業の岡田屋和菓子店がありました。名物観音起こしや観音最中等を販売し観音参りのお土産店として繁盛していたようです。龍ケ崎観音のほおずき市など祭礼日には煙突からモクモクと煙が上がったといいます。その煙突は今も空高く聳えています。

岡田屋は和菓子店が大繁盛し、やがて化粧品店、演芸場へと多角経営をされます。かつて龍ケ崎にあった「大正座」はこの岡田屋が経営する映画館(演芸場)でした。

龍ケ崎は古くから米や繭の集積地として栄え、茨城県南の中心的な地方都市でありました。そんな龍ケ崎には様々な小売店、問屋、飲食店、旅館、演芸場といった施設、そして神社仏閣があり、ビジネスや買い物、娯楽、参詣者で賑わいました。そして賑わえば賑わうほどお土産を買い求める人が増えます。気軽なお土産品として和菓子が選ばれることが多かったと思います。

一方、日常の生活の中で育った和菓子店もあります。龍ケ崎の和菓子店の中には、赤飯や稲荷ずしといった和菓子とは無関係に思われる商品が並べられています。それは祭礼など人々の年中行事と密接な関係があると考えます。市街地には八坂神社のほか、小さな神社や祠がたくさんあり、町内会単位のオピシャ講、稲荷講、エビス講、屋敷神の祭祀があります。このような行事では赤飯や稲荷ずし、海苔巻、おはぎ、かしわ餅、あんころ餅などが振舞われます。こうした年中行事の食習慣が日常化し、かしわ餅、あんころ餅といった和菓子類と一緒に稲荷ずしや赤飯が売られるようになったと考えます。これは龍ケ崎に限ったものではありません。関東一円の古い形態を残す町では同様の傾向が見られます。

砂町で現在もくず餅やところ天を製造販売されている名古屋食品は、明治12年(1879)頃の創業と聞きます。創業当時はコンニャクの製造販売をされていましたが、その後ところ天やくず餅といった和菓子へとカテゴリーを広げられます。名古屋食品のくず餅は久寿餅と表記し、関東発祥で、関西発祥の葛(くず)餅と違い、小麦粉を発酵させて作る和菓子で唯一の発酵食品です。

大正元年(1912)に米町の定月堂が創業し練羊羹の製造販売、大正3年根町に鍵林製菓が創業します。大正時代にはそのほか佐沼屋菓子店(下町)、萬福屋(新町)、種芳(上町)、武蔵屋鉄蔵がありました。萬福屋は化粧品店として現存するお店ですが、明治43年に上町辻に創業し、小間物、糸類、化粧品などを扱い、大正から昭和の一時期、新町で和菓子の販売もされていたようです。砂町の山本屋は詳細が不明ですが、明治創業の老舗中の老舗です。現在地に移ったのは大正時代とのことです。

現在の和菓子店は、てらだ家(米町/和菓子-昭和30年代創業)、源内製菓(上町/和洋菓子-昭和初期創業)、伊勢屋(横町/和菓子店-昭和33年(1958)創業)、鍵林製菓(根町/煎餅)、国華堂(寺後/和菓子-昭和45年(1970)創業)、名古屋食品(砂町/くず餅業)、山本屋菓子店(砂町/和洋菓子)の7店舗です。この数はまちの規模からすると多い方で、和菓子でまち興しが出来るのではと考えます。