水塚(水屋)

河川沿いの地域は、川の恵みを受けて豊かになる一方、常に洪水の危険との隣り合わせです。もし、河川が氾濫したら、人、食物、大切な家財道具などを避難させ、自分達の生活を守るべく、様々な工夫が重ねられてきました。

龍ケ崎市内においては、北文間地区は小貝川が著しく蛇行していて、水害を極めて受け易い場所でありました。小貝川氾濫の影響は大きく、住民は昔から水との戦いに心血をそそいできました。

物置の梁に小舟を吊るし、水害の時にこれを降ろし、避難や食料の運搬に使う。こうした揚舟は、以前は各戸に備えてありましたが、現在は少なくなりました。

また、天井裏を避難場所とし、非常の際はここで生活できるよう畳敷きにし、通風口や明り取りの窓を取り付けるといった母屋の一部を防災施設にする方法や、水塚といって、母屋よりも0.5~3メートルほど高く盛土をした上に設けられた小屋を避難場所とする方法などが採られてきました。龍ケ崎市内においては、昭和56年を最後にそれ以降大きな災害は起きておりません。こうしたことから、水難地域特有の水防建築は徐々に減ってきております。外見からも確認できる水塚に関しては、件数は少なくなってきましたが、現在も龍ケ崎市内においては北文間地区、特に高須町では散在しております。なお、高須町の一部では小貝川流路の変更や堤防拡張工事の影響で移転を余儀なくされた家が多くあり、同地区に移転する場合は、水塚を改めて築くのではなく、地盤の地上げがされてきました。 なお、水塚は地方によって様々ないい方があります。利根川周辺の場合は主に水塚といいますが、段倉、水倉という地域もあります。また、盛土そのものを水塚といい、その上に建てられた水防建築のことを水屋と分けて表現する場合もあります。

龍ケ崎の場合、水辺の地区高須町、豊田町に多く残されています。

高須町

 

豊田町

川原代町

 

その他

大徳町

佐貫

入地町