富現山桂昌寺

所在地 龍ケ崎市城ノ内5丁目22

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本尊 薬師如来 宗派 曹洞宗

山号は富現山。本寺は江戸崎(稲敷市)管天寺(かんてんじ)になります。八代町と長峰町のほとんどの住民が桂昌寺の檀家となっていて、檀家組織もあるようです。

寺伝によると社太良左衛門を開祖檀越とし、明心道達(みょうしんどうたつ)が中興し、桂山良公(けいざんりょうこう/文禄5年11月28日死去 )、点翁吟号(てんおうぎんごう/天正19年1月28日死去)、通峯泰公(つうほうたいこう/寛永17年4月20日死去)と相承されました。 天文21年(1552)7月4日、管天寺九世田曳正村(でんそうせいそん/寛永8年7月13日死去)が再興し曹洞宗に改めた。

つまり、鎌倉期に東条社氏と関わりのある寺院があり、南北朝期にはこの村を支配する屋代氏がその寺を再興し菩提寺にした。戦国期には江戸崎土岐氏の菩提寺、宗管天寺の末寺になったということです。

六世密心師伝は、正徳4年(1714)入寺し、田畑を買い求め、檀家の寄付とあわせ、寺の経済的基礎を固めた。 享保2年(1717)伽監を再興、信仰の対象であった薬師如来を本尊とした。密心師伝は中興の師と仰がれていると伝えられています。

明治19年(1886)の書き上げによると、当寺の桂昌寺は、本堂竪(たて)11間、横6間半の他に庫裡(竪十間、横5間半)があり 、寺産として境内坪数977坪、境外所有地5町8反6畝26歩、山林3町6畝19歩、空地3反2畝17歩があったことが記されています。

かつては、現在地より少し南の低地にありましたが、竜ヶ崎ニュータウン龍ケ岡地区の建設に伴い、昭和52年(1977)本堂を高台の現在地に移転しました。また、境内共同墓地及び八代地区に散在していた共同墓地を高台の現在地に移し、一か所に纏めました。

 

金剛力士像(仁王尊) 市指定文化財彫刻

もとは八代町富士神社の仁王門に祀られていたものです。ところが明治初年の廃仏毀釈により、仏法の守護神である金剛力士像は野に捨てられました。それを惜しんだ寺崎弥上衛門氏がしばらく自宅に祀っており、 のちに桂昌寺に移されたということです。

金剛力士は仁王ともいい、上半身裸形で裳を付け金剛(しょ)を持っています。もともと金剛杵の威力を人格化させたもので、仏陀を守護する力士でありましたが、仏法を守護し、邪悪を退ける像として寺門や須弥壇左右に安置される像です。当寺院では本堂前脇に安置されています。昭和53年市指定文化財に指定されました。

左 金綱力士(うん)形像  右 金綱力士阿形像