国道6号線
江戸時代より水戸街道と呼ばれていた街道は、明治5年に陸前浜街道と改称された。その後牛久沼東岸沿いに新道が開通し、明治17年、明治天皇の牛久行幸の際に臨幸道として整備され、おのずと陸前浜街道の本道はこちらに移った。さらに、明治18年に内務省の告示によって、国道1号から44号の路線が決定し、これに基づき陸前浜街道は国道14号線の称号が与えられた。この時の制定は今の国道と違って、総てが日本橋を基点としていた。国道14号線は日本橋から水戸を結ぶ路線で、江戸時代後期の水戸街道とほぼ同じであったが、宿駅名の中に若柴の名前は消えていた。
現在の水戸街道が国道六号線と名づけられたのは、大正9年に制定された、大正国道と言われるものが最初で、国道六号路線の称号が与えられた。それによると六号路線は東京市より宮城県庁所在地つまり仙台市迄で、経過地は四号路線を千住町にて分岐し水戸市を経過し宮城県名取郡岩沼町より四号路線に合流することになっていた。その後、昭和27年の制定により現在の国道六号線の大もとが作られた。国道六号線。それは東京を中心として、国土の骨格をかたちづくるように順番に番号が振られたのである。つまりこの道は戦後の経済復興を担う国道として重要な位置づけであったことが想像出来る。そしてそれは大正国道六号路線を継承するかたちを採り、また六と言う同じ番号が付けられたのは、東京を起点としている数少ない幹線だからこそ、その必然性があったのだろう。
街道は時代とともにその役割が変わりかたちも変わってゆく。人々は旧街道を陸前浜街道と呼び続けた。そして新道つまり国道六号線をいつの時か再び水戸街道と呼ぶようになった。
